「沢村栄治ものがたり」
小倉肇 著

吉村英夫 (1987年04月号)

  第2次大戦直後に草野球・少年野球に夢中だった私(評者)にとって、当時、川上哲治は生きているヒーローであり、宇治山田出身の沢村栄治は伝説のなかの英雄だった。背番号16番を語る時、14番の欠番の来歴を口角沫を飛ばして話しあうのが常であった。「もし戦争がなかったら」背番号14番をこの目で見られたのにと考える時、はじめて私は戦争というものの意味を考えていたのかもしれない。さらに、久居に育ち陸軍33連隊の練兵場跡が遊び場でもあった私には、沢村がここで手榴弾を投げる練習をし、強肩が人々を驚かせたというエピソードはとりわけなまなましい実感を持って迫ってきたのを記憶している。
  その「沢村栄治」の少年少女向け「ものがたり」である。もう概要にふれる必要はあるまい。中年の私は巨人軍をはじめ胸をわくわくさせる懐かしい名前が頻出するのにノスタルジアを覚える。「熱く、むねのなかにのこっている」ものを思い出させてくれる。現在の野球少年が読めば、野球への夢をかきたてるに充分な迫力をこの書に感じるに違いない。ストーリー。テリングな語り口は、沢村の劇的な短い一生という素材があったにしてもみごとである。
  私はこの著が、プロ野球への視点を明確に持っていることに好感を持つ。「つらいくらしがつづくなかで、たのしみをもとめる人々が、球場におしよせる」ようなプロ野球、「戦場におくられたプロ野球選手たちは、1日もはやく平和な日々がもどり、また、たくさんの野球ファンの前で、試合のできる日のくることを、心からねがう」ような「国民に愛されるプロ野球」、を擁護する筆者を支持したい。それは、「人々の心を、明るく」してくれるプロ野球の本来の在り方とどこかでズレを起こし、かつてのプロ野球信奉者である私などを野球離れさせている現在のプロ野球への、問題提起にもなっているからである。
  私はかねがね、児童文学、とりわけ伝記物語における批評性の問題についてある種の疑問を持ってきた。門外漢であるからピントはずれかもしれないが、英雄の伝記では、いったいどこで人物の弱点や矛盾をあきらかにさせるのか、人物や時代への批判をどのように形象するのか、それが納得しきれないでいた。評伝といわれるジャンルを持たない児童文学での、著者自身の投影の仕方の問題である。この著は、前述のプロ野球観にたって、「個人の自由意志はゆるされない」戦争の時代が、「不滅の大投手」沢村栄治の青春と生命を奪ったという視点を明らかにしている。「白球にすべてをかけて、みじかく燃えつきるしかなかったひとりの青年の無念さ」を、子どもたちに語りかけている。英雄における弱点や矛盾の描出についてはまだあいまいさも残るが、私にとっては疑問へのひとつの貴重な解答である。この著を、熱中して読むであろう現代の野球少年にも、安心して与えることが出来ると思う所以である。
  それからもうひとつ、三重県人である著者が、「芭蕉」や「沢村栄治」を、郷土出身の偉人という観点を超えて国民的・普遍的視野でとらえなおそうとしている姿勢を、評価したい。民話をはじめ芭蕉から沢村、南方熊楠までを興味と関心と研究の対象にしてしまう柔軟で意欲的な著者の大きさをあらためて感じさせられる。…蛇足ながら、1955年に『不滅の熱球』との題で映画にもなっている。池部良が沢村を演じていた。


教育を考える一冊の本 1987年