吉原 一真 (1987年02月号)
お正月はわが家も大家族主義である。そこで大家族はお伊勢参りをすることになる。東京組は電車、津組はマイカーにする。出発は正午すぎだが、門と玄関に街灯をつけておいた。用心のためである。
ところが時期は松の内で、明日は総理が来るという。沿道にはマイカー族がいっぱいだ。櫛田川をわたると「伊勢名物」のてこねずしの看板がみえる。もう4時になっている。内宮の「赤福」にはマイカー組はとっくに到着して、何皿も食べ終った頃だろう。ところがマイカー組の前途は遼遠だ。この辺で一寸休んで行こうと言い出したのはこの我が輩である。2群に分けた大家族を紹介しておく。マイカー組は、家内と次女の夫妻と幼稚園の女の子である。ふと気がつくと、レストランの窓にさざんかのようなあかりがにじんでいる。もう外は日が暮れてきた。相変わらず車の渋滞だ。
外へ出ると宮川に入る。おなり街道を神宮皇学館あたりで次女が車を降りたいという。狭い車の中で空気が悪くなってきたのだ。我が輩もシートベルトで体がきゅうくつだ。娘と家内は酸欠状態のままではと、車を降りて、「赤福」めざして徒歩旅行にきりかえる。またたく間に車の渋滞を追いぬいて姿が見えなくなった。一方、車組も窓を開けるとずっとラクになってきた。
電車組はもうとっくに「赤福」のお店へ到着して交互に伊勢参宮をすまして待ちかねている頃だ。
やっと「赤福」近くのレストランが見つかった。警備のおまわりさんが多く、ここで待っていてくれと言って幼稚園をともなって「赤福」の方へさがしに行く。レストランの支配人が、何度も注文を聞きにくる。腹はへってない。飲みものも食べるものもいらない。「田舎雑煮」という。誰か迎えに来てくれないかと心待ちに待っている。私も足腰が弱くなってステッキをたよりにしている身だ。
遂に待ち兼ねた待人が現われた。電車組の高1の男の子である。「皆には会ったのか。」と聞くと、「皆居る。」帰りは東京組と津組とが選手交替だという。伊勢参宮はすませている。幼稚園も無事だという。
これではいったい何のための伊勢参宮だったのか。玄関へ出ると皆いる。帰りもおそらく車の雑踏と渋滞だ。「てこねずし」の店へ入って自宅へ電話する。「電車組は帰ったのか。」「今帰った。玄関と門に電灯がついていたからありがたかった。車のトランクにてこねずしが入っている。」「今どこだ。」というので、「そのてこねずしだ。」「急いで帰る。」と言ったきり、幼稚園も迷い子にならず帰ってきたとは伊勢参りの御利益だと神様に感謝する気になってきた。これが幼稚園が迷い児になっていたら、神も仏もあったものではない。