吉原 一真 (1987年04月号)
3月20日の中京テレビで、浜村、きだ、上岡三氏の映像を見た。政治、経済、社会、文化、芸能のおしゃべりである。3人の女性が批判をする。浜村他2氏のおしゃべりは卓見である。評論家顔まけの議論は大衆の心を打つ。たとえば、文化と文明、ソ連とアメリカ、日本の立場、スリーマイル島事件から、わかりやすい芸能のことでも、杉良太郎の遠山の金さんはともかく、女学生と機関銃は良かったがその遺産だけで喰っているのではないか。中森明菜はそのフィーリングだけで変化があるが、楽譜をよめば、そして本格的に歌わせれば、本当はすばらしいのである。そしていばらない。謙虚な人たちだ。一流の新聞人だからだろう。
3月20日はお彼岸である。27年ごろの映画のテレビの再映をみた。無名の脚本家を励まし、献身する乙羽信子の妻、貧しくて死ぬ女、戦時下の京都、生徒出陣の三高生を励まし、よりすがる母親の姿、加茂川の流れと、「妻をめとらば才たけて、みめ美しく情あり」、「紅もゆる丘の花、さ緑にほう岸の色」と往年の名曲がずい所に流れてくる。作家が貧しかった時代に、妻の愛に満ちみちて、妻の献身を純粋にうけとめ、死に別れる新藤兼人の愛と死の作品である。滝沢修のシナリオ界の大先生、映画が社会から拒否される頃の菅井一郎等の抵抗の姿勢、こんにちの人々は想像もできなかった半世紀以前の苦労がにじみ出ている。それにしても宇野重吉も乙羽信子も若くて美しい。
その頃、勤め先に中野という男がいて、将棋がうまい男で、「手を打つ」という言葉が得意だった。奥さんに勤め先から、「今夜はおそくなる。夜中に帰るから、先にねていてもいいから、おじやでも作っておいて先にねてくれ。俺は手をうっておいたから心配はいらない」という言葉をつかって電話をかけている。「まあ、この人ったら」あきれがおで見つめるお嬢さんがいたが、平気の平座で将棋に夢中だった。この中野も20年3月10日の東京大空襲で二度と帰ってこなかった。
そして、あれから40数年、「マルサの女」という伊丹十三の映画が評判なので見に行った。アバタの女だが、査察官の○サのことらしい。宮本信子の演ずる凄い女のことである。中曽根総理も見たというから、税金のむだ使いのことらしい。「お葬式」も伊丹万作の息子だけにおもしろかったが、マルサの女はもうひとつ面白かった。歌は世につれ世は歌につれというが、映画も時代を端的に現しているから愉快だ。
東京の中目黒にいた弘美という親戚の娘がアメリカへ嫁いで行くことになった。もうそんな年かと思って上京した機会に激励しに行った。まだ20才すぎのOLだと思っていたが、もう27才のおばさんになっていた。4月に入るとカリフォルニアへ嫁いで行くという。お母さんも末娘がアメリカへ行ってしまうので淋しそうだ。ところがお父さんは築地で雑こく問屋をやっているから、空元気かもしれないが元気いっぱいだ。弘美もそれ程淋しそうではない。浅香光代や池内淳子がうちのまわりにロケーションに来るという。築地だからロケーションは当然だ。浅香光代はいいおばさんになった。女剣劇はなやかな頃、不二洋子、浅香光代ははいなせで奇麗な姐御だった。浅草の葵丸進のてんぷらをたべにこの芝居を見に行った。高等学校の寮祭でこのだしものをかけた。「だん七しぐれ」という芝居で、私は今でも、浅香光代、こと伊すみの春吉役だったので、そのせりふは全部記憶している。
池内淳子もひところ好きな女優だった。みそ汁の味も、素敵な作品だった。芸者姿も、みそ汁屋の屋台のおかみは好ましかった。弘美の激励に来たのにすっかり、お父さんの怪気炎の話題にさらわれた思いだ。
弘美は弘美で日本人に二世のお父さんやお母さんの話題で、嫁ぐ日が近く嬉しそうだった。