正月 七草粥

小倉 肇 (1987年01月号)

七草のはこべらもちて悲し (青邨)

  正月七日に、粥をたき、そのなかに春の七草を入れて食する風習は古来、全国各地で、行なわれてきたらしい。
  七草粥は「源氏物語」にも記されており、また、赤染衛門の家集にも「春日野のけふ七草のこれならで君をとふ日はいつぞともなし」という短歌があるように、平安時代にはすでに上流階級の間で季節の行事のひとつとして広く行われていたようである。
  七草とは、「セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ」を指す。スズナはカブラのことであり、スズシロは大根のことである。
  七草の日は七草粥を食するというだけでなく「台所はじめ」の日でもあった。
  この日の朝、嫁や娘たちは、「七草なづな、唐土の鳥は、あっちゃむいてはコッコ、こっちむいてはコッコ」とか「七草なづな、唐土の鳥は、日本の土地に渡らぬ先に七草、なづな」などと口ずさみながら、姐板をたたく風習があった。
  この風習は、三重においても、主として郡部にまだ根づよく残っている。歌川豊国の有名な作品(春遊娘七草)には江戸時代のころの、この行事の様子がみごとに再現されている。
  七草の呼び名は県下でもまちまちで、(七種、七日粥、なづな打ち、七種粥、若菜迎え、七所祝、若菜つみ----)など、さまざまである。
  正月も過ぎ、松もとれる七日、さっぱりとした七草粥を食し、台所を綺麗にし、食器をみがき、そして、姐板をたたいて、今年もまた、せっせと家族のために、美味しい料理を作ろうと誓う七草粥の日は、なつかしくもゆかしい女性達の行事として、いつまでも残してほしいものてある。

七草や今や昔の粥の味 (鴻村)


三重歳時記 1987年